私のモーツァルト

まずは私とモーツァルトとの出会いから書きます。私とモーツァルトとの出会いは1999年です。それまで私はクラシックは全く聴かなかったのですが、CDショップでクラシックのいろいろな作曲家の代表曲のさわりの部分だけを集めたCDが目に留まりました。「3分で聴く 究極のクラシックVOL.1 究極のクラシック・ベスト25」というやたら長い題名のCDに偶然出会います。私は興味本位でそのCDを買ってみました。これが私のモーツァルトだけでなくクラシック音楽との出会いです。その中に収録されていたモーツァルトの「ピアノ・ソナタ第11番第3楽章『トルコ行進曲』」のメロディーの素晴らしさ美しさチャーミングさに心打たれました。そして未だに「トルコ行進曲」の演奏はこのCDの中に収録されていたペーター・シュマルフスというマイナーなピアニストの演奏が自分の中では一番の演奏です。他のピアニストの「トルコ行進曲」の演奏は初めの頃は「何か違うんだよな」と違和感を感じました。

そしてそれから色々な作曲家も聴いていく内に段々と自分にはモーツァルトが一番合っている、好きな作曲家だということがわかってきました。私が最初の頃モーツァルトの曲の中で特に気に入った曲が、一番最初に聴いて衝撃を受けた「トルコ行進曲」と「セレナード第13番『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』」でした。私は「トルコ行進曲」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の同曲異演奏のCDを集めまくりました。そしてさまざまな演奏家の「トルコ行進曲」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の曲だけを集めて編集したCDを作って楽しんだりしていました。

私がモーツァルトと出会う前までのモーツァルトの印象は映画『アマデウス』の印象が強かったです。というか『アマデウス』での印象しかほとんどありませんでした。他は神童で天才だったということくらいです。だから実は下品な人だということも知っていました。私が初めて『アマデウス』を見たのは1991年モーツァルト没後200周年記念の年にNHKで放送されていたのを見ました。「アカデミー賞を取っただけあっておもしろい映画だな」と思いました。その年はモーツァルトフィーバーの年で私の大学の教授も「猫も杓子もモーツァルトモーツァルトで・・・」と嘆いていたのを覚えています。最も私はその頃モーツァルトにもクラシックにも全く興味なかったので、後からそのフィーバーぶりの凄まじさを知ったのですが。その年に出版されたモーツァルト関連本は驚くほどたくさんあるし、テレビでもモーツァルトを扱った番組が多かったようです。モーツァルト愛好者になった今では「1991年に戻ってあのモーツァルトフィーバーぶりを実体験してみたいな」なんて思ったりします。そして2006年モーツァルト生誕250周年記念の年にもギリギリ間に合いませんでした(私が再度クラシックに興味持ったのが2008年)。悲しい。

モーツァルトの曲が好きになるとモーツァルトという人物がどういう人物なのかも興味が出てきて、モーツァルトの伝記やモーツァルトの曲やモーツァルト論みたいな本も買って読みはじめました。そしてモーツァルトには逸話が豊富でおちゃめで下ネタ好きで人間らしく大変魅力的な人物だということがわかりました。モーツァルトはユーモアに溢れていて今彼が生きていればお笑い芸人になれたでしょう。モーツァルトに関する本を大分買いましたが、ほとんどが本棚に飾られていてこれから読まれるのを待っている本たちが大半なのですが。一生読まれない本もあるかもしれません。かわいそうです。でもこれらの本を読んだおかげでモーツァルトには相当詳しくなりました。

今ではモーツァルトのCDも大分増えました。モーツァルトのメジャー曲についてはもうほとんど全部聴いたと思います。モーツァルティアンとしては当たり前のことです。ただマイナー曲に関しては聴いていない曲もたくさんあります。マイナー曲というのはCDもあまり発売されていないし、マイナー曲も聴くにはモーツァルト全集を買うしかないかなと思っています。Brilliant Classicsレーベルから激安で発売されていた全集があります。一時期あれを買おうかどうか迷っていたことがあります。でも買ったとしてもCDを聴くのが大変だし、マイナー曲にあまり魅力を感じていないという理由で結局購入しませんでした。

モーツァルトの音楽は心身をリラックスさせる作用があると言われています。胎教にいいとか、よく眠れるとか。また、人間だけでなく牛に聴かせると乳が良く出るとか、鶏に聴かせると卵を良く産むとか、植物に聴かせると良く育つとか、こういう研究結果が報告されています。同じクラシックでもモーツァルトの曲じゃないと駄目だそうです。これらがモーツァルト効果と言われているものです。

モーツァルトの曲は聴いていて気持ちいい。癒される。これはどうしてなのか?自分でもよくわかりません。他のクラシック作曲家の曲とはちょっと違うのです。モーツァルトの曲はどれも凄く自然な感じがします。自然に曲を書いている。曲に余分な所がない。無駄がない。角がない。今この文章を書いていて「これがモーツァルトの曲を聴いていて気持ちいい理由なのかな?」と思いました。モーツァルトはよく「天才」と言われますが、まさに天才だと思います。天から降りきたものをそのまま音楽にして表現しているという感じがします。一方、例えばベートーヴェンは人間が一生懸命に考えて作った音楽という感じがします。モーツァルトの書いた楽譜は修正跡がほとんど無くて、ベートーヴェンが書いた楽譜は修正跡だらけだったと言われています。ベートーヴェンの音楽が剛だとすると、モーツァルトの音楽は柔です。そういうところがモーツァルトとベートーヴェンの違いだと思います。

モーツァルトは短調の作品に傑作が多いと言われています。私もモーツァルトの短調の作品がすこぶる好きだ。モーツァルトの短調の作品は何ともの哀しいのでしょう。当時は長調で書く明るい曲が常とされていたのにモーツァルトが短調で曲を書いたのはなぜでしょう?。と言ってもモーツァルトの短調の作品は全体の約1割程しかありませんが。楽しい時も辛い時もモーツァルトは気分に関係なく明るい曲や哀しい曲を書いています。そういうところにモーツァルトの職人としての志が感じられます。モーツァルトの主に短調の曲を集めたCD「哀しみのモーツァルト ベスト」(キングレコード)と「dankaiパンチ」2008年12月号付録CD「哀しみのモーツァルト」は私のお気に入りのCDです。だったらモーツァルトの短調の曲だけを編集したCDを自分で作ればいいじゃないかって?。そうですね、はい、そうします。

モーツァルトは幼い頃、1日に何度も「ぼくのこと、好き?」と尋ねたそうです。それに対して私は声を大にして答えたいと思います。「大好きだよ!」と。

私はモーツァルトに出会えて本当に良かったと思っています。モーツァルトの曲に出会えて良かった。モーツァルトの本に出会えてよかった。モーツァルトという人物に出会えて良かった。モーツァルトは私の心を豊かにし、そして私に音楽を聴く楽しみを与えてくれました。私はモーツァルトとは友達だと思っています。私はモーツァルトとこれからもずっと楽しく付き合っていきたいと思っています。
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